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"AMICI Journal" 2010夏号 カバーストーリー Vittorio Grigolo [インタビュー&記事]

gri_amici03_2.jpgVittorio Grigolo by John Rizzo

 『フランク・シナトラは、そのヒット曲のひとつの中で、「あそこで成功できれば、どこでだって成功できる」と歌った。「あそこ」とは、もちろん、ニューヨークだ。とにかく、これは本当だ。オペラ歌手とメトロポリタン・オペラにとってまさに正しい。歌手の履歴書にメト出演が含まれていれば、この歌手が最高位に上りつめたということを証明する。メトは世界のナンバーワンオペラハウスと考えられているし、King of the Hill として歌手たちに他のどこよりも高額の支払いをする。二年前、ヴィットリオ・グリゴーロを本誌が紹介したとき、彼はオペラスターになる入口にいた。2010-11年シーズンにはメトで歌う。彼は喜びいっぱいに報告している。「複数の主要歌劇場と今後4年間分の出演契約をした」

 グリゴーロはメトと契約したというだけでなく、フランコ・ゼッフィレッリ演出、プッチーニの《ボエーム》の開幕公演でニューヨークデビューをするべく選ばれた。これは、17公演予定されている。グリゴーロがこの演出の開幕を担い、他の4人のロドルフォ役テノールより多くの公演で歌うことは、彼の才能が認められたということである。劇場運営者は観客の相当数は世界各地から最高のオペラを見ようとやってくることを認識している。毎シーズン、《ボエーム》を上演するのは、現在もっとも人気のある作品だからだ。このオペラの人気の理由のひとつは、ものすごく難しいテノールの華麗な歌唱にある。能力のあるテノールは伝統的に一幕に並ぶ数カ所のBと二つのハイCを歌う。大概は安心感と安全策をとって移調して多少下げて歌う。グリゴーロは下げない。"Opera News"で、「メタリックで光沢のある高音域の驚くほど力強いテノール」とか「スター性」があると評された男に我々は当然高いまま行く事を期待する。ヴィトリオは当然のように言う。「"Che gelida manina" のアリアでハイCをひとつ歌います。もうひとつは幕の終わりの最後の "amor,"を、原典主義者の好むプッチーニの書いたEではなくハイCにします」

 最近、ヴィットリオ・グリゴーロのキャリアは新たな驚きの局面を迎えた。ソニーと6つのCDを録音する契約を結んだのだ。グリゴーロによれば「この申し出はじっくり時間をかけて吟味しました。ソニーにはオペラ歌手はあまりいませんから・・クリスマス直後に契約しました」オペラ録音用の歌手がほとんどいないソニーが彼を選んだのもまた、ヴィットリオの突出した才能を示すものである。この会社はジャズやポップの大物、例えばルイ・アームストロング,マイルス・デイヴィス、ボブ・ディラン、デューク・エリントンそしてアレサ・フランクリンなどの所属が知られている。しかし、プラシド・ドミンゴやルネ・フレミングのような既成のスターの録音は出しているにしても、現在まで、オペラのチャンスはあまりつかんでいなかった。しかし、ソニーは、グリゴーロが録音する6つのアルバムのひとつはポップCDとすることを要求することによって、多少にしろ安全策をとっている。ヴィットリオは納得。彼の露出度を強化するメディアとして、ポップスの力を認識している。さらに、この若いテノールは、同じ世代の人たちとコミュニケーションしたいと思っている。今日、オペラよりポップミュージックのほうが、この目的をより達成することを否定できる人がいるだろうか。

gri_amici02_1.jpg 「ボクにはチャレンジが必要なのです」とヴィットリオは力説する。オペラ歌手ならだれでもやってみることができる。チャレンジすることはたくさんある。目下、グリゴーロは、彼をフランスオペラのエキスパートと考えるアントニオ・パッパーノ指揮のマスネ作曲《マノン》のデ・グリューでのコヴェントガーデンデビューのリハーサル中。6月(9月の間違い)にはドミンゴとマントヴァでリゴレットの映画を撮る予定。二年以上前から、テノールの重要な役を沢山、メータやマゼールといった有名指揮者の下で演じている。マゼールはファウストの全部の役を歌って、グリゴーロを喜ばせた。グリゴーロはオッフェンバックの五幕の長丁場で、ホフマン役は歌より演技の挑戦だと知った。「感情を伴う動きがたくさんあって、演技することのほうがより重要なのです」批評家はほとんど常に彼の演劇的才能に注目している。このチャレンジも成功したと思う。まだ答えが出ていないのがゼッフィレッリの初演出、《愛の妙薬》だ。この偉大な演出家は、ヴィットリオの芸術性を認めて演出したがっている。「フランコは重病でした。だから、時期を待たなくてはなりません」とグリゴーロは説明する。

gri_amici03_1.jpg ヴィットリオのレパートリーはすでに最重要のイタリア、フランスオペラの役を含んでいる。トロヴァトーレのマンリーコはまだ舞台で歌っていないが、前にも話したように、"Ah si ben mio"とカバレッタの”Di quella pira”を録音した。舞台であれ、録音であれ、グリゴーロは、彼のキャリアを通じて、一緒に仕事をする仲間と深い絆を結んでいる。おそらく、彼は、メト出演やソニーとの契約以前に前途有望な若い歌手たちとある種血縁関係のようなものを感じているので、将来のトップ女性歌手達と共演するのを特別に楽しんでいる。「カルメン・ジャンナタッシオと歌うのが好きです」と彼は言う。彼は前のドニゼッティのルクレチア・ボルジアの記事で紹介したソンドラ・ラドヴァノフスキーとの共演もとても楽しんだ。

 10月のメト登場は別として、アメリカのオペラファンたちはグリゴーロの演技を見るのを当分待たねばならない。「今年アメリカでの契約はロスアンゼルスでのコンサートだけです」少なくともこれで彼は、今はチューリヒにある自宅の近くにいることになる。舞台から舞台へと大陸を縦横にまたにかけるのに便利な位置だ。しかし、彼がしばらくほとんど仕事をしていないヨーロッパの国がイタリアだ。「とても悲しいことです」とグリゴーロは言う。政府の緊縮経済のせいで、ミュージシャンたちによる一連のむちゃなストライキがおこり、その結果、イタリアの歌劇場の多くが閉鎖されている。

gri_amici04_2.jpg アレッツォ生まれのヴィットリオ・グリゴーロはローマの母親を訪ねるのが好きだ。彼女は彼の、特に初期の、キャリアに大きな影響を与えた。今、彼女は自宅を息子の記念館にしている。「博物館みたいです。なんでもとってあります」とヴィットリオは言う。ヴィットリオが子どもだったとき直しに行ったサングラスもとってあるのだろうか。母子が眼鏡屋にサングラスの修理に行った時、地下から歌声が聞こえて来た。誰かが階段を降りて行って、その歌声に合わせて歌った。地下室の歌手は眼鏡屋の父親だった。彼はヴィットリオの音楽の才能に感動して、システィーナ礼拝堂聖歌隊のオーディションを受けるように手配した。千年の歴史を持つこの偉大な聖歌隊は、ヴィットリオを歌手として採用し、有名なScuola Puerorum に入学させた。彼は、ここで、五年間声楽を学んだ。「将来、自分がひとかどの大物になると思ったのは、その時でした」とグリゴーロは回想する。今年10月16日、この"大物"がメトで歌う。』

この記事からの新情報:
☆ロサンゼルスでコンサート、メトの《ボエーム》が終わってすぐくらいかな....11月5日以降
☆ソーニーとの契約は、アルバム6枚、そのうち1枚はオペラではなくポップ系、なるほど、やっぱりクラシックのCDは売れないのが当たり前なんだ.....
☆ゼッフィレッリの新演出で《愛の妙薬》.....実現するかどうかは、ゼッフィレッリの健康次第

メモ:.
カルメン・ジャンナタッシオ Carmen Giannattasio:1975.4.24 - 南イタリアのAvellino出身
ソンドラ・ラドヴァノフスキー Sondra Radvanovsky :1969.4.11 - アメリカ出身
フランコ・ゼッフィレッリ:1923.2.12 - フィレンツェ出身


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