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18年目にやっと修復再開したTeatro Petruzzelliで《ボエーム》 [ボエーム/ Petruzzelli - 2010]

 昨年12月30日の記事で紹介しましたが、ヴィットリオ・グリゴーロは、シチリアのカターニアにあるベッリーニ大劇場の2010シーズン開幕公演《ファウスト》の出演をとりやめ、代わりにイタリア本土南部のバーリにあるペトルッツェッリ劇場の《ボエーム》に出演することが急に決まりました。これは、本人の都合ではなく、劇場間で取引があったのではないかと思います。

 ペトルッツェッリ劇場は、1991年火事で焼失して以来、18年ぶりに再建復活を果たし、昨年の2009年10月4日にベートヴェンの第9の演奏で正式にオープンしました。オペラは、12月にマルティナ・セラフィンとファビオ・アルミリアートという人気の歌手を揃えて《トゥーランドット》を上演しています。2010年は《ボエーム》での幕開けですが、劇場にとっては、やっと再建できた記念のシーズンですから、やっぱり話題になる歌手を持ってきたかったんでしょう。それが、テノールのヴィットリオ・グリゴーロとバリトンのダリボール・イエニスなのではないかと思います。地方劇場としては1481席と比較的大きな劇場ですので、集客の見込める歌手を手当することが重要ですから.....

 ペトルッツェッリ劇場の再建については、ルッジェーロ・ライモンディ絡みで、ちょっと調べたことがあるんです。2007年末の再建を目指していましたが、国との資金交渉でもめたりで、なかなかはかどらず次は2008年末には....ということでしたが、結局、それもだめで、やっと2009年10月に修復再建できたわけです。写真で見てもすばらしく美しい劇場で、さすがイタリアはこういう修復技術はピカイチですね。なぜ焼けたかとか...ヴェネツィアのフェニーチェと同様にいろいろ面白い話しもあります。


★ペトルッツェッリ劇場:
プーリア州の州都バーリの中心街にあるペトルッツェッリ劇場は、およそ100年ほどの歴史をもつりっぱなオペラ劇場で したが、1991年10月26日夜中から27日未明に火災に見舞われ、閉鎖されました。皮肉にも直前には、火刑の場面で幕切れとなる《ノルマ》が上演され ていたそうです。再建は難航していますが、来年2007年12月の再開(結局2009年10月15日修復完成)を目指しています。....現在は小さな劇場Teatro Piccinni(620席)でオペラとダンスの公演が行われています。(2006-08-14記事)

この記事に対して、バーリの街の印象とペトルッツェッリ劇場の興味深い助六さんのコメントと、続いての私のコメントをこちらに転載します。

『バーリや周辺のロマネスク教会(トラーニが素晴らしい!ここで結婚式挙げるのがシックだそう)巡って、ギリシャに渡ったことがあります。サン・ニコラがあるカスバみたいな白い迷路状の旧市街はかつてはスリの巣窟と言われたけど、EU補助金で洗浄し今は特に問題なく歩けます。でも黒装束で家の前に腰を下ろす老女たちのグループ、路地を駆け回る子供たち、窓から見える名産パスタのオレキエッテを打つ若く美しい女性とか、21世紀の欧州にまだこんなところが!と驚愕に値する光景でした。
プーリア人はシャイでかつ人なつっこく大好きです。同じ南でもシチリア人やカラブリア人とは随分違う印象を受けました。帰路オレキエッテとオリーブ油を両手一杯ぶら下げて飛行機に向かったら、皆が賞賛してくれましたよ!
ペトルッツェッリは尚焦げ跡露な無残な姿をさらしてましたが、何とマクドナルドの壁一面に劇場内部の美しい写真が掲げてあったので、「綺麗だけど、どっちの劇場?」と訊いたら、従業員の女の子が「燃えたペトルッツェッリの方」と嬉しそうに話してくれました。何でも総監督自身が個人的負債償還のために、再建工事で動くカネを狙ってマフィアに放火させたとかいう信じ難い話みたいですが。結局最高裁まで行って無罪らしいけど。ここはメッセーニ家の個人所有の劇場という事情で、再建費用を巡る国との交渉が長引いて、この再建遅延になったみたいですね。』

『ペトルッツェッリは、なんでも、土地は市のもので、市から譲渡された土地に実業家のペトルッツェッリ氏が劇場を建てたものだそうですが、譲渡の条件に、火事等で崩壊した場合は、3年以内に修復作業を終えなければ、市がその土地を引き取る.....とかの契約で、ペトルッツェッリの相続人に再建費用がないのを知っていて、放火したとかですよね。
たしか、フェニーチェの時も、マフィアが絡んでいる話が出ましたね。まあ、日本のように、延焼することがないので、放火の罪は軽いのかしら?確か日本は殺人よりも放火のほうが重罪でしたよね。 』

助六さんのコメントにもあるように、バーリからギリシャに船が出ています。真夜中に出航して、翌朝には着きます。 

◎ついでの話:ニーノ・ロータとリッカルド・ムーティ
ムー ティは1941年7月28日ナポリで生まれましたが、モルフェッタ(バーリの近く)で育ちました。高校時代は、地元高校に通いながら、バーリ音楽院にも通学していました。その時の校長がなんとあのニーノ・ロータだったのです。しかし、家族が翌年ナポリに引越すことになりましたので、1959年にナポリ音楽院に入り、1962年にはミラノのジュゼッペ・ヴェルディ音楽院で勉強を続け、1970年代前半から若手指揮者として活躍を始めたのです。

ニーノ・ロータ(1911.12.3 - 1979.4.10)北 イタリアのミラノ出身。ミラノ音楽院、サンタ・チェチーリア音楽院で学んだ。その後米国に渡り、カーティス音楽院に学んだ。帰国後ミラノ大学に入学し、文学と哲学を並行して専攻。大学卒業後音楽教師となり、その傍らクラシック音楽の作曲家として活動を開始。1942年以降、映画音楽の作曲も始めた。

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コメント 2

euridice

こんにちは
美しい劇場ですね。ずっと前にバーリで収録したという「トスカ」の映像を見たことがありますが、違う劇場での公演だったのでしょうね。ブルゾンがスカルピアで
ヒゲをどうしているか・・という好奇心で見たのでした。ヒゲのスカルピアだったと思います。カヴァラドッシはクーラでしたが、ボローニャ来日公演のほうがはるかに素敵でした。
by euridice (2010-01-11 18:03) 

keyaki

euridiceさん
装飾もすべて復元したんでしょうね。美しい劇場ですね。

私もそのバーリのトスカ見ました。どこの劇場か全く気にしていませんでしたが、バーリのArena della Vittoriaで収録のようです....アレーナということはスタジアムですよね。スタジアムの中に舞台を作ったのかしら?

日本のDVD販売サイトでは「ペトルゼッリ劇場で収録」となっているようですが、まあ、ペトルゼッリ劇場の公演であることは間違いないんですけど.....劇場が焼けたことを知らなかったようですね。
by keyaki (2010-01-12 00:10) 

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